みなとみらいの電飾さん。

国語科に関することを書いています。詩も投稿しています。ほとんど備忘録ブログです。

左利きのエッセイ

来ました!書きぞめの授業…。左利きであることがいつも何となく心のどこかを邪魔して、小学3年生で初めて筆で文字を書いたときからこれまでずっと苦手意識が拭えない書きぞめ…。もちろん、この苦手意識と筆の扱いの下手さには、自分の圧倒的な練習不足が9割を占めているのだけども(苦笑)。この2年間で、なんだかんだ多くの書写の研修会に参加して、実際に自分が書いたり教わったりしてみて、ちょっとおもしろいな、なんかスポーツみたい、と思い始めているのが追い風になって、色々思うことがあるから書いておこう…。

 

1なんか、消化試合みたいになってる。

 読書感想文コンクール同様、毎年毎年、県の書道コンクール開催時期に合わせたタイミングで、(多分)県下一斉に行われる書きぞめの授業。タイミングも必ずこの時期。だって、手本が下りてくるのがこの時期なんだもん。出品作品を選出するタイミングに合わせて授業が予定され、年度末のバタバタの中、慣れない「実技教科的授業」に四苦八苦。じっとしていられない生徒など、抱えている困難が多めな生徒はそわそわ。体育や家庭科など、いわゆる実技教科の先生方の苦労や偉大さをひしひしと感じる毎日。用具注文!用具届く!手本渡す!書かせる!清書提出!廊下に掲示!終わり!なんか、年末の消化試合みたいなテンポ感…。でも、正直助かる!授業準備しなくてよい!まあこの一年自転車操業だったんだからいっか、みたいな…ことを思いかけている自分が許せないような…そんな感じ…。今年度はコロナで硬筆展がなくなった。すごくのびのび授業ができた(入賞を狙っている生徒には申し訳ないけど…)。コンクールありきで動くの、もう辞めたい。

 

2左利きの気持ち。

 自分は左利きなのだが、筆は右で使っている。小筆は左。細かい動きは右で扱えないのだ。小学1年生のころ、左利きの近所のおじさんに「左利きで困るのはお習字くらいですよ」と言われたのを鮮明に覚えていて、小学3年生の時に、(子どもながらに)選択を迫られたわけです。「左で書くのか、右で書くのか」!!究極の選択だったので、「メインは右、名前は左」という折衷案に落ち着いた。そのとき担任の先生に何か言われた覚えはないので、先生的には「あ、そうなのね」程度だったのかもしれない。

で、もともと字が得意なわけではないけれど、利き手と違う手で、手本に忠実に、筆という未知の筆記用具で文字を書こうとするわけなので、当然、自分のなかでうまくいかないし納得のいかない文字が半紙上に生み出される。じゃあ左で書いてみようか、と書いてみるのだけど、やっぱり「書きにくい」。これはもう、絶望的な書きにくさ。鉛筆だともう慣れちゃってるから大丈夫な「横線」が、これがもう、書きにくいのなんの。そして、私は横線を「右から左方向に」引く癖があり、今も治っていない。でも、そのほうが「書きやすい」(正確に言うと、「引きやすい」)んだもん、、と思いつつ、筆では「筆を斜め45度で入れてーの、トン、スー、トン」というのがあり、これは完全に「左から右方向に」書かねばならず、そうしないと手本に似せられない。あー。もう嫌だ。ほら、うまくいかないじゃん。選手に選ばれるとか無理だもん(このころはまだ、そういう賞レース的なものへの憧れがあったんだなあ)という気持ちだった。「基本点画」とかいう概念すらなかった。

中学生になると、「冬休みの宿題ね。10枚以上はA、6枚以上はB評価で、成績に入れるよ」(今、私も同じようなことを生徒に言っている。なんという運命のいたずら…)と言われ、この時点では書きぞめに対してさほど興味を持たなくなっているのだが、それでも、「書こう。宿題だし」という感じで、一人、部屋で、稲垣吾郎版の「八つ墓村」の再放送を見ながら一気に10枚書き上げたのを覚えている。犯人が若村麻由美で、鍾乳洞の中でりょうに襲い掛かってくるシーンがめちゃくちゃ怖いんだけど、結局壮絶な最期を遂げてしまって、「うわ…救いがない話」と思って、未だに好きなドラマなんだが…ということの方を強く覚えているわけで、宿題に真面目に取り組んでいなかったのは明白。

こうして自分の「書きぞめ半生」(?)を振り返ってみると、いかに自分が書きぞめに対して向上心がなかったかがありありとわかった。

 

3左利きの生徒はどういう気持ちなのか?

左利きの生徒は、各クラス4人ほど在籍している。試しに聞いてみると、自分と同じように「メインは右、名前は左」パターンの生徒、「全部左で書く」パターンの生徒が混在している。おお、この事実だけとっても、一斉指導とワンオペの個別指導では絶対にカバーできないことが確定。で「メインは右、名前は左」パターンの生徒に聞いてみると、「書きにくいです。右手は普段使わないから、つい震えちゃうんです。だから、がたがたな文字になっちゃうんです。」とのこと。わかる!わかるよ!なんとか、なんとか君が、今回の単元やってよかったとおもえるようにしたい…!!!

もちろん、「筆での学びを普段の硬筆に生かす」という書写教育としての目的から言えば、「むしろ左で書きなよ。」と強く言い、左で書いてもらうよう促すべきなのかもしれない。しかしながら、私には言えなかった。彼はすでに、利き手であるはずの左手でも筆をうまく扱えない状況になっている。そりゃそうだ、6年間、右手でしか筆を扱ってきてないんだから…。自分自身が体験してきたからこそ、気持ちがわかる…。いや、でも教師としては言うべきなのか???という自問自答。(と言いつつどうすればいいかわからず、「わかるよ、わかる!」ということしかできない。「左利きだとここがこう書きにくくてさ…」と言いながら個別指導するくらいしかできなかった…悔しいね)

 

4個別指導のやり方ってこれでいいんだろうか?

勤務校の先生方は幸いにもそんな感じではないのだけど、風に乗ってやってくる話によると、先ほど書いたように「書きぞめの授業は消化試合」的な気持ちで行われている実態があるようだ(うちの勤務地域だけ?)。まあでも、気持ちはわかる。あのさあ、なんで国語にはT2がいないんですか?数学にはきっちりあるのに(時間割作成でもっとも苦労する縛り)。国語だって2人で見ようよ!たった一人で全員にカンファランスするのは物理的に無理があるから…。片付け含めて実質35分くらいの時間の中では全員に声をかけられず…(どれを練習したい?どれが納得いかない?と聞いて、新聞紙に書いてもらってアドバイスしたり、一緒に筆をもって、力の抜き加減を体験してもらったりしているのだが、間に合わない。机間指導のイメージでずっと動いてるんだけど、作文指導とはまったく勝手が違うので、全然間に合わない)。でも、個別に声かけて、練習する時間は必要だと思うんですよね…。だって、科捜研の女だって、筆跡鑑定してるじゃないですか。筆跡ってオリジナル、その人の個性だから…。書きぞめ、特に、行書では、その人に合った教え方があると思うんだよなあ…。そして、「書きぞめのときは教員はあまり話さないし、生徒の邪魔できないから、ヒマだなあ。」とよく聞くけど、そうかなあ?そんなことないんじゃないかなあ…。いや、待てよ、むしろ私が書いてる途中に介入しすぎなのかなあ…話しかけられるのって迷惑??もっと静かに、黙って見守る方がいいのかなあ…とすごく悩む。

 

5事前、事後指導の充実かなあ

事前指導は、各文字のポイントを伝えて手本に書き込んでもらい、空で書く、オーソドックスなもの。でも、墨の量を調節する方法、筆の持ち方、姿勢はちゃんと一斉指導しなかった。バーっと、練習に入っちゃったなあ。反省。一斉指導してから始めれば、個別に言う必要ないもんなあ。

事後指導はまだだけど、やっぱり自分の一番最初の作品と、清書を比較して、見てもらって、感想を書いてもらいたいな。あとは、行書で名前書く機会を来年度も意図的に入れたり?

あすこま先生のこの記事、何回も読んでたんだけど、単元前にもう一回読み直せばよかったなあ…。

甲斐先生の「書写」の授業は、やはり「甲斐利恵子先生の授業」でした | あすこまっ! (askoma.info)

 

とにかく、今の勤務校の先生方は面白くて楽しくて力も付く授業を常に展開している先輩だから、なんとかして授業を見学に行きたい…のだが、びっくりするくらい事務コマ(いわゆる空きコマ)がない!特に一番見に行きたい国語は、私と先輩二人で二学年持っているので授業は常に裏番組。なんという状況…。いや、帰り道で一日のことを思い出しても、本当に職員室の椅子に座っている時間を思い出せないくらい。担任って忙しいんだなあ…。そして事務作業はすべて放課後に…(苦笑)。やはり、学生時代に色々なところに見学に行くべきだった。自分のフットワークの重さを反省。

 

6まとめ

 長いエッセイ(?)だ…でも、こういうのは勢いだ…10年後の自分のためだ…初心を忘れないためだ…。まとめ。学生時代の自分がいかに書きぞめや「文字を書くという行為そのもの」を軽視していたかがよくわかった(笑)