みなとみらいの電飾さん。

国語科に関することを書いています。詩も投稿しています。ほとんど備忘録ブログです。

『教育のプロがすすめる選択する学び』その①

 

 


p41

 

★選択することは目的ではなく手段。盲目的に選択肢を提供すべきでない(まえがき)

★選択肢をいろいろ試してみる、試行錯誤することで単元の大きな目標に向かっていくような単元だったら、単元のゴールという「目的」に向かって、選択肢を与え、それを試すことが「手段」となるなあ。

「すべてに使えばいい。」のではない、と著者が言っている。(p41)

 

★「多くの生徒が自分の能力について教師よりも知るようになり」「学び手としての自身の理解」(p19)

→選択して継続的に学ぶことで、自分自身のことがだんだん見えてくる、教師はそれを観察して、意味付けていく、本人に客観的に「こうなってきたみたいだけど自分ではどう?」と声をかけていきたい。学習者は、グラデーションのようにだんだん自覚していくのかな。

 

★違うことを同時にするのだ、協働的な学習の雰囲気が生まれる(p36)

同じ活動でも、それぞれが違うものを創作している創作活動の雰囲気にリンク。詩なら詩人として、小説なら小説家として、俳句なら句会の参加者として(句会は少し競争感あるのかしら)。ライティングワークショップのような?