いまこれを読んでいて…。
1成績のこと
「生徒に責任をもたせる成績のつけ方をする」(p117)
「どうしても成績をつけなければならないときは、
うな実践を考えるとよいでしょう。
たとえば、生徒にテストを再度受け直させたり、
レゼンテーションをもう一度行ってもらうのです。こうすれば、「
すから、もしあなたがよりよい成績を望むのであれば、
でください」というメッセージを発信することになります。
このことは、
を、(能力を反映したものと思われている)
変わり続けるものとして捉えるようになります。
きると分かると、
2実践の中で
最近の授業、とくに単元の最後に何かを書くことがゴールの単元では、「下書きのための知識を得る時間」「執筆の時間」「発表の時間」の構成がしっくりきていて、いくつかの単元で採用している。基本的に、宿題で書かせることはなく、最低一時間は授業として執筆時間を取る。で、早く終わってしまう生徒には「より具体的に」とか言ってどんどん書き足させるのだが、この「執筆の時間」の最後に早く終わっているひとに発表してもらうのが最近のマイブーム。速く終わった生徒がいて、偶然、思いついてやったことがあってから続けているんだけども。家で書かざるを得なくなる生徒にとってはヒントに、もう書き終えたと思っている生徒にとってはよりつけ足すときのエネルギーになる。こちらは発表者の作品のよいところをコメントして、「みなさんもこの観点をつけ足したらもっと良くなるね」などと言ったり。この方式いいなあ(もしかしてこれがセオリーなのか…?)と思っていたら、1の引用に出会った。ああそうかあ、って思う。
固定化されてないんだよね。自分次第で変えていけるからこそ、学ぶ意味がある。こちらとしては、それが可能になるように単元計画を練らないとなあ。
11/27 追記
全体の前で発表するなら完成した後、みたいな思い込みがずっとあったけど、よく考えてみればライティングワークショップでは共有の時間で製作途中の作品の発表は行われているのだし、それ知っていたのに、現実で自分が実践するとなると全然思い浮かばなかったのはなんでなんだろ…。そのギャップ(?)、面白くもある。で、たぶん「ライティングワークショップだから。」とか思ってたのかもしれない。ライティングワークショップの「信念」のピンと来たところを、自分が作る単元に組み込むみたいな発想がなかったのかもしれない。まだ、実践の形態に頭が縛られているのかも。あと、「回し読みしてコメントをもらう」という形で「発表」するときも、「まだ完成していなくてもそんなの気にしなくていいじゃない。締め切りは一週間後なんだし、今日もらったコメントを生かして書いてきてよ。さあ回し読みはじめ!」みたいな指示を出し始めたのはいつ頃からだったか忘れた…。そういうスタンスでいたい。