みなとみらいの電飾さん。

国語科に関することを書いています。詩も投稿しています。ほとんど備忘録ブログです。

2月勉強会メモ①「少年の日の思い出」

1「少年の日の思い出」

さまざまな実践が蓄積されてきた「少年の日の思い出」の実践。実践研究史を勉強したわけではないから感覚的な話になってしまうけれども、話題に出たもの、なにかの雑誌などで読んだもので思いつくものをメモ。

・別の人物の視点で書く

教科書の言語活動例としても掲載。自分も「エーミールの視点で」と条件付けして3年前に実践。「女中」「クジャクヤママユ」などの本文中で出番が少なく、想像する「根拠」になる描写が少なすぎる人物を選択してしまうと、「別の視点で書く」力をつける目的からそれがちだ、という話に。メロスでも「羊」の視点になって書いた生徒がいたが、ヒントがなさ過ぎて空想になってしまう。むしろ、空想の力をつけたいときはそれでよいのだろうが。「目的は何か」「つけたい力は何か」が大事なんだよなあ、どんなときも。

 

・続き物語を書く

嘘日記」として、主人公のその後の気持ち、「あの時本当はどう思っていたのか」を振り返るというパターンも。これ、改めて描写を読み返しながら書けていいよね。「少年の日の思い出」、いつも時数との関係で描写全てを扱いたいのになあという歯がゆさがあるので、この活動なら描写に焦点化できそう。

その道35年の同僚の国語の先生が、「色々な言語活動があって、視点を変えて書く創作活動だと生徒がノるんだけど、でも、本当は、蝶が好きで好きでたまらないことを鮮やかな比喩で表現する、ザ・小説のような部分を教えたいのよね、今の時代には、そぐわないのかもしれないけれど」とおっしゃっていて、共感していたから、この活動なら…と思う。

 

・初読の感想

朗読CDを流しつつ、Twitter的にクラスルームで感想を打ち込む方法(打ち込みは任意)が話題に上る。「突っ込みながら初読する」という、自分の教材研究と同じ方法だなあと思う。初読の感想の使い方には、自分なりに気をつけている(小説の場合は、初読で書いてもらったものを持ち帰って手控えを作るようにしたり)が、「リアルタイムの気持ち」が出てくるのはこの方法が一番だろう。

「この時期、クラスの雰囲気・人間関係があるからこそできる」「アンチコメントのような、教育上どうかという発言がゼロではない」などの視点も。でも、「国語科」って、言葉の大切さを学ぶ一方で、本音が出ないと進まない教科でもあると思うから、本音が出せる国語教室をつくることの方が大切な気もした。

『名作をいじる』みたいな感じで、いつも教材研究している。

昔、修論のレジュメもそんな感じでやっていたら、それを読んだ人に「なんだこれは」と揶揄されたっけ。でも、自分のやり方だからなあ…。

余白への書き込み、「マルジナリア」っていうんだって。

下北沢の書店でこの本『マルジナリアでつかまえて』を見つけて、初めてその言葉を知った。昨年の初旬だったかな。

マルジナリア、良い響きだ。