みなとみらいの電飾さん。

国語科に関することを書いています。詩も投稿しています。ほとんど備忘録ブログです。

2月勉強会メモ②「君は最後の晩餐を知っているか」

1自分の実践の振り返り

この4年間で、3回実践している。最初の3年間、2学年同時に持っていたからですね…。場数は踏めたけど、正直きつかったなあ、毎日が…。

1年目:たしか読解だけで終わった。ペアの先生の板書案をそのままいただいて、進度を合わせたので。それでも精一杯だった記憶…。

2年目:単元「評論を読む」として実践。この年は一人で2年生の全クラスをもっていたので。教材の「評論」という特徴にフォーカスした。この文章の評論としての特徴(かっこいいと思う主観を、根拠を示して客観的に語る)を読み取った後、筆者の考えに対する自分の意見を書いた。

3年目:読解だけで終わった。ペアの先生とあわせつつだったので。

 

2勉強会での話題

勉強会では、

「君は○○を知っているか」という文章を書く言語活動の実践について話題に。

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このような書籍から、いくつかチョイスして…?もしくは、自分で選んだものもOKにする…?でも、教材によっては言語活動の内容に差がでそうだなあ…など、いろいろと話せて楽しかった。絵、好きなんだよなあ。世界史も教科書の絵画好きだった。クールベとか。

「絵画」ならOKとすると、「二次元系のイラスト」を持ってくる生徒もいるだろうなあ、そこには「君は最後の晩餐を知っているか?」のような、いくつもの工夫があるのか、それを見いだせるのか、こちら側のカンファランスは行き届くのか…などなど。

いま、好きな曲を教材にした実践について考えているところだったので、ピッタリな話題だった。本来、付けたい力を明確にした後で相応しい教材を見つけ出し、教材を絞ることで力をつけてもらうのだから、「教師の選択したものの中から→生徒が選択」の流れは当たり前ともいえる。しかし、「生徒が選択したもの→教師がカンファランスで導く」という流れもありえなくはない。その単元で「つけられる力」が生徒によって多少変化するが、それを共有できる場面があれば学びになるのではないか。ライティングワークショップのような…。そんな思いがあって。

極論、「絵」というカテゴリーを広く見れば、「二次元系のイラスト」も「絵」であって、昔イラストが好きだった身からすれば、構図、着色、背景など、色々な工夫がなされていることを知っているわけで。もちろん、視点は分散してしまうし、生徒側に背景知識がないとつらいけども…。

歌詞を引用して、文法的に説明する実践も話題に上ったが、

「好きな曲の歌詞」という縛りだけではやはり分散してしまい、教材の種類が多すぎてこちらが「歌詞の文法的正否を確認する余裕がない」という課題も残ったという。たしかに…!

だが、生徒のその教材への思いは「強い」。今、ハマっている歌詞を授業で紹介できるなんて、それが勉強の一部になるなんて、うれしくって仕方がないのだ。これもまた「教材の力」なのではないだろうか。

二項対立に見える「教材、誰がどうやって選択するか問題」、二項対立ではないのかもしれない。

そんなことを考えている今日このごろ。