育休復帰後の職場も担当学年も何も決まっていない。だが、もし3年生を持つことになるといささか不安がある。初任からの5年間で一回しか経験していないのが3年生の授業だからである。
(1学年を2人で持っていた時代が長かったので、1年生は計4回、2年生は計3回授業をしているのだ。)
途中で教科書が変わったりしたものの、1、2年の授業は自分なりに授業アイデアのストックがあるのだが3年は…
当時の自分が使っていた教科書を見返したら、「週3コマキツすぎ!」と書き殴ってあった。1、2年は、週4コマ。
そう、この、週に3コマというのが、実に大変でストレスフルである。
大村はま全集などを読んでいると、現在とは国語の授業時数が全く異なっていることがわかる。
甲斐雄一郎(2003)「大村はま国語教室」における学習の軌跡--1974年度卒業生の学習記録に基づく調査研究 によれば、1974年つまり昭和49年の三年生は171コマの国語の授業を受けている。↓
<論文>「大村はま国語教室」における学習の軌跡 1974年度卒業生の学習記録に基づく調査研究 | CiNii Research
現在では年間105、いや、実質はもっと少ないけど。
まず、中学校は部活の大会で授業が潰れる。なぜ、大会で授業を潰すのか。さらに、自分自身が部活関連の出張があったりもする。授業は二の次になる。わけがわからない(戸部くん!)
行事の準備や本番でも潰れる。どこかで取り返す、、といいつつ、学級閉鎖や臨時休校もありなかなかうまくいかない。行事はなんだかんだ色々あるから、授業がままならない。これは学校によっても違うかも。高校とか、さらに授業時数少なそう。みんなどうしてるんだろうか。
授業が潰れると喜ぶ同僚もいるが(気持ちは私もわかる。生徒指導などで空きコマは無いに等しく、それくらい授業の準備コマがないのだ)、私はいつもストレスだ。
理由は2つ。
まず、単元の予定が立てにくい。
1つの単元は、言語活動を含めて完成するようにデザインしている。しかし、三年生は週に3コマ、なにかで潰れたり行事で時間割が変わり延期したりすると週に1コマしかないときもある!そんな状況では言語活動をじっくりする時間、個々の生徒の状況や作品を見取り、フィードバックするタイミングがあるわけがない。評価物の扱いも含めていいことがない。
次に、時数が少ないほど、書く活動や調べて考える活動など、言語活動の選択肢がなくなる。じっくりライティングワークショップなどできない。これは、小学校と中高の違いでもあるかもしれないが…。
三年生は受験が控えているので、入試を意識した授業や活動ももちろん取り入れていくことになる。授業時数を増やせとは言わないが、でも、もっと、授業を大事にしてほしいと感じている。本当に授業を大事にするシステムが、状況が整えば、まったく違ったやり方ができるだろう。部活をそんなに大事にしないでください…プライオリティを考えて…
コロナ禍のように、国としてそういう方針にしてくれないと、各校裁量では絶対に授業は軽視される。
授業が一コマ潰れると、すごく、すごく、悲しい。あーあ…もったいなすぎる、、と、自分が悪いわけでは無いのに落ち込んでしまう。そんな私はおかしいのだろうか…?
はい、嘆くだけでは何も変わらないので、なんとかやりくりして、自分が自信を持って提供できる授業を準備しよう!